息子の育児を語るうえで欠かせない事柄だったのに、ずっと書けずにいた件。 満を持して振り返ってみたいと思います。
息子は産まれが妊娠29週の超低出生体重児(体重960g、身長32.3㎝)なのですが、いわゆるキャッチアップと言って3歳ごろまでに成長が追いつくと言われていました。
しかし、待てど暮らせど成長は追いつかず(発達含め)、フォローアップ検診では常に身長の伸び具合を気にしていました。
NICU同期の子たちと、どんどん体の大きさで差がつけられていく。ママ友が自分の子供と息子の背を比べてくるのが地味にストレスでした(ハラスメントやでソレ…)。
低身長症の疑い~検査、診断まで
生まれた病院でのフォローアップ検診で、2歳を過ぎても身長の伸びが悪いことは診られていましたので、3歳を過ぎてからの3か月で身長の伸びを見て、検査をしましょうという事になりました。
3歳ちょうどの身長が82.1㎝、その三か月後はわずか2mmしか伸びていませんでした。そこから同じ小児科内での内分泌専門医に紹介を受け、2泊3日の検査入院が決まりました。
入院してやることは、常時点滴をしつつ絶食です。定期的に採血をして成長ホルモンの分泌量を測ります。併せて血液での染色体の検査を受けました。
結果「成長ホルモンは年齢相当の分泌量があること」「染色体の異常がないこと」がわかりました。
それらと成長の記録(検査当時で身長の標準偏差は-3.3SD)などをもって『SGA性低身長症』の診断となりました。 この診断で成長ホルモン剤の治療を始められる事になります。
治療(成長ホルモン注射)開始
検査後の外来診療で主治医から注射の仕方を教わりました(アンパンマンのぬいぐるみ相手に)。
注射に必要なもの一式を持ち帰り、その日の夜から始めたのですが、試しにどれだけ痛みを感じるのか夫を実験台にして、夫のお尻にチクっとしてみたところ「イデッ!」と声をあげるほどの痛みがあったようです。
当時から息子が寝た後に、パジャマのズボンとおむつを脱がせ、お尻にチクっと打っていましたが、ほとんど起きることはなく、最初のころは順調でした…。
おかげで身長の方はそれまでの停滞ぶりがなかったかのように、着々と伸びていきました。 最終的には高1の冬まで打ちましたが、身長はギリギリ160㎝になり、私の身長を超えています。
治療費について
成長ホルモン剤(在宅医療扱い、自己注射)はとにかく高額です。SGA性低身長症と診断を受けたから健康保険の適応になっていましたけど、とても自費では無理でしょう…(注射1本で10万円ぐらい?)。
高額療養費の限度額適用認定証を毎年申請して、それを病院の窓口で見せると窓口支払い額は、44,400~8万円前後だったかと思います。 うちの市では中学卒業までの子ども医療費の制度があるので、後日役所に申請をすると2か月後くらいに自己負担金が戻ってきました。
限度額適用認定証、毎年更新になるため、更新のタイミングを忘れてしまうと、窓口での支払いが大きくなってしまうので、リマインド要です。
ほぼこれらの制度によってありがたく賄われ、治療を受けることができたのですが、もしこれらがなかったらどうだっただろう…と考えてしまいます。
衝撃の担当医交代
3歳で検査入院した時からずっとお世話になっていた男性の医師、息子が中学生のころにほかの医師に変わってしまいました。
医師交代の理由は…、前回の診察後、男性医師が体調不良を訴えられて入院、治療の甲斐なく亡くなられたと…。
驚きを隠せませんでした。診察室で交代の医師にそれを告げられ動揺してしまいました。もちろん息子も。その頃、息子の近しい人も亡くなってしまって…。親子で悲しい気持ちを引きずって帰った記憶があります。
交代された先生は、女性の先生で。陰部の発達を時々見てもらうこともあり、息子も恥ずかしい気持ちの方が先行していたので申し訳ない気持ちにもなりました。
治療を終えて…思う事
治療の終了のタイミングは、中学校卒業までの子ども医療費制度が使えなくなった頃か、または半年に一度撮っている手のレントゲン写真で、骨の成長が完成しきるまで(まだ成長の途中なら骨と骨の間に隙間が見える。それがくっついて見えると骨はそれ以上伸びない)か。
身長の伸び自体が止まったかを見てきて、高1の冬に血液検査をやってみて異常がないことを確認して、治療を終了しました。
実はまだ使っていない薬剤が残っているんです…。使い切ることができなかった。
後悔しても遅いけど、もっと小さい時に、注射を起きている時(自分でやるか、母がやるか)にやるという生活を作っておけば良かったなと。
でも出来なかった。
ずっと息子が寝るのを待って、私は先に寝てしまうけど、夜中にアラームかけて起きて、注射準備して、息子の太もも部位までパジャマをめくって。
起きてしまったら太ももをあらわにした状態で再び寝入るまで待つ。
なぜこの注射をしているのか、それを言えないまま終わってしまった。
そして息子も、自分が注射されていることに気づいていなかった…いたかもしれないけど、それについて聞いてくることはなかった。何してるの?!とか。
なかなかこういうパターンもいないだろうな。
3歳のころのまま16歳間際まで、打たない日もたくさんあって。
ちゃんと毎日打ち続ければもっと伸びていたかもしれないけど。
でも無理だったなぁ…。思い出しても涙が出てきそう。毎晩アラームで起きていたころを。
私一人でやってた。最初のころは夫婦で一日交代当番でやろうってなってたけど。
夫はいつの頃からかまったく存在外に。
いちど夜中、あまりにも腹がたって夫が寝ている掛布団をぶん投げて怒鳴りつけたけど、返ってきた言葉は「俺は疲れてるんだ!」だったから。
もう本当に私の人生から消えて欲しい。
生きるか死ぬかの治療ではない。だからそこまでの真剣さがなかったと言われたらそれまでだけど。 誰にも言えず今日初めてここに吐き出すこと。許してほしい。